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【イベントレポ:中編】日本メディアの歪んだ「ジェンダー問題」について考えよう!第1回ジェンダー☆ラボ


おときた氏がコミケに行く理由

勝部:おときたさんは毎年夏と冬に開催されるコミックマーケット(以下、コミケ)に行かれていると思うが、その理由は?

おときた:僕は「表現の自由」が非常に大事だと思っている。卑猥な表現とか、コミケにふさわしくないといった理由で、販売禁止にされたり、描くのをやめろと言われることは「表現の自由」に警鐘するだろうと考えていて、政府がそういう規制をすることに反対をするという立場を取っている。

勝部:芸術や文学など、さまざまな表現の自由というものがある中でコミケを選択する理由は?人がいっぱいいるから?(笑)

おときた:そこは否定はしません(笑)ただ、コミケはLGBTといった多様性の象徴的なイベントという部分が大きいです。
コミケがあそこまで大きくなった理由としては、昔「やおい」と言われていたボーイズラブなどの作品が売れるところがコミケしかなかった。
そういう人達が集まってきたが、彼らは実は表現の自由という考え方に疎くて、あまり自分達の権利などに関心が無いので、我々が訴えかえていると言ったことが我々の活動主旨です。

勝部:表現の自由を求めている方々の話を聞いていると、規制に対して何をもって反対しているのかがわからない。
「わいせつだから反対」ということには私も反対。性的な表現があって良い部分もある。
私は一部規制は必要だと考えていて、「わいせつだから反対」ではなく、それを見たくない人に届くから反対。
あと、ある種暴力的な表現も反対。という点から反対だと言っている。
そもそも「わいせつ性か否か」といった戦いといった文脈ではない気がしている。

メディア規制のリスク

おときた:勝部さんは、メディア規制についてジェンダーバイアスを加速させるようなものは国とかそういうレベルで規制すべきではないかとい立場。今日の参加者のほとんどが同じ意識だと思う。

私も考えていることはみなさんと同じではあるが、ただ、僕はそれを政府が規制することには極めて慎重な立場を取っている。

おときた:話を戻すと、わいせつの基準は一体誰が決めるんだという話になってくる。

たとえば、一部の人が決めることになって、「これはわいせつだから販売禁止」としてしまった場合、その人が我々とほとんど同じ価値観でジャッジしてくれれば良いが、そうではない人がなった場合のリスクがどうしても捨てきれない。なのでそこは慎重であるべきだと思っている。

わいせつか否か

勝部:私は「わいせつ性か否か」を論点にしてはいけないと思っている。たとえば、以前ろくでなしこさんというアーティストの方がわいせつな表現をしたということで逮捕された事件があったと思うが、あれはどうみても、彼女の表現以上にわいせつなものなんて世の中にいくらでもあるし、恣意的な介入があったものだと思っている。だから「わいせつ性か否か」という基準で規制をかけてはいけないと思っている。

ただ、私が言いたいのは、わいせつ性を基準にする必要があると思っている。一般市民にはいろんな権利があると思うが、その中に「自由」がある。自由というものは「したい自由」と「されたくない自由」があると思う。イギリスのバーリンという政治哲学者が提唱した「積極的自由」と「消極的自由」という概念がある。要はどちらも大切であり、どちらも認めなくてはいけないものだと思っている。このバランスを規制するのが政府の役割だと思っている。

例えば、ヨーロッパではナンパ(キャットコール)が禁止になっている。これは、ナンパしたい自由とされたくない自由で、実生活上どちらが有利かを考えて「(利益が低い)されなくない自由」の方を守った方が良いのではないかという話になった。こういう「されたくない自由の保証」といった意味合いの規制が必要だと思っている。

おときた:私も民衆の合意ライン、政治用語ではいう公共の福祉、公序良俗に反するものは規制されるべきであり、みんなの合意の元で決めたルールに従って線引きされるべきものだと思っている。

ただ、非常に判断の難しいのは、ナンパとかセクハラは、する側とされる側が必ずしも認識している訳ではなく、発表するによって「実は嫌だったんだ」ということがわかる行為になる。主体と客体が入り乱れている点が非常に難しい。コミケの場合、「ほそぼそと販売することの何が悪いんですか?」という話になるし、たまに置きたい本屋さんに置いてもらうだけなのにそれすらも許されないのかという話になってきた時に、セクハラ以上に難しい判断が問われると思っている。

最近千葉県でいわゆる青年向け雑誌は販売しないという判断をしたコンビニがあるが、その過程には主張と主張の対立があったと思う。それをお上からズバッと判断する制度を作ることは、極めて慎重であった方が良いと考えている。

なぜ私がこんなに慎重になっているかというと、LGBTやジェンダーバイアスの問題でいえば、できれば政府に禁止してほしいと思って当然だと思う。一向に意識の変わらない日本に対して規制をかけたいという気持ちはわかる。でも絶対に考えなければならないのは、そういったやり方というのは「反転の可能性がある」と思っておかなければならない。

今の政府とか民意の流れの中で制度が作られることは今の私たちにとってはハッピーかもしれないけれど、全然違う価値観の人たちが権力をにぎった時に、全く逆のことをされても文句を言えなくなってしまう。

国を侮辱するような事を言ったら逮捕だということも「みんなで決めた法律なんだから認めますか?」となった時に認めたくないと思う。

そういう「反転の可能性」が権力にはすごくある。だからこそ慎重に世論を調整する必要がある。大体みんなが納得したよねというところまでレベルを引き上げることが民主主義のあり方だと思っていて、残念ながら今の国家にはまだメディアの規制ができるほどのレベルには達していないというのが僕の考え方。

例えば、母親しか出てこないメ◯ーズのCMで「これは規制しなきゃダメだ!」と業界や政府が当たり前のように訴えるレベルには達していない。

民主主義の問題意識が日本的

勝部:民主主義の問題意識が日本的だと思っている。

例えば、近年ジェンダーの問題で規制をかけた国で反転したケースがあるかというとぶっちゃけ聞いたことがない。ジェンダー先進国では基本的は反転しないと思っている。

なぜかというと、やはりそれらの国では人権というものが非常に尊重されていて、自由、平等などの権利の保証が前提であり出発点になっている。ところが日本はそうではない。同調社会の国なので、例えば学校でいじめがあり殴られた場合でも本来は刑法が適用されるはずなのに、空気を乱している方がダメだとか、要はいじめられる方が悪いといった意見が尊重されてしまっている。

本当は憲法に書いてあるはずの人権がなぜか学校や会社などの狭い世界では守られないということが多々生じている。
そういう世界だと確かに反転しやすいというところはあると思う。

だから単純に規制というものだけを取り出して適用すると、危ないなという点はあると思う。だからもっと個人とか人権を大切にする社会にすることとセットで行う必要があると思っている。

おときた:確かにジェンダーの例でいうとこれまで反転した例はないし、僕ももちろん反転しないことを信じたいと願ってはいる。ただジェンダー以外の例で見た時に、反転することが多々起きている。

例えばトランプ大統領の場合、ポリティカル・コレクトネスに対する反発があったのは確かだし、イギリスがEUから抜けた事も理想主義的に言えば、そんなことはあってはならないのだが、移民への反発やダイバーシティへの反発などで、民主主義がやや反転することは現実問題として起き得る。そうならないための土壌をどう作っていくかが大事。

僕がなぜそう思うかというと、今の都議会とか国会に行けば、おっさん政治家の大半は僕らと違う考え方を持っていて、ジェンダー問題提起を意識していない人が7割位だと思う。こんな状況の社会で規制を作ろうといっても絶対無理な訳で、もっと女性議員を増やしていかないとなかなか一足飛びに規制という話にはならないだろうなと思う。

時代が変わるのを待つという方法もあるが、それでは遅すぎる。
僕はもっとムーブメントを投票率や投票結果に反映させていく方法を考えていかなければならないと考えている。

metoo運動について

篠原:最近、metooとか、SNSが発展してきたことでメディアの炎上事例も減ってきた。1人が声を上げることでみんなが同調してそれが企業に届いて炎上が減っていている。でも逆にそれを潰す勢力も出てきているのかなと思う。セクハラ問題など、声を上げる人が叩かれるケースがある。一般人同士の対立についてはどう思うか?

おときた:「共感が社会を変えていく」ということに関してはもちろん賛成で、むしろこれしか突破口は無いと思っている。不買運動など◯◯は買わないなどといった行動は意思表示として「あり」だと思う。それによって企業側は売り上げが下がれば彼らは賢いので「このやり方はダメだったんだ」と受け止めて変化していく。

ただ、metoo運動などで僕が気になるのは、個人に対する裁きを社会や集団でやっても良いのかという点。その辺はすごく慎重になる必要があると思っている。それを防ぐための法治国家であり、法律やエビデンスに基づいて裁判をやりましょうよというのが我々の合意事項なはず。なのに裁判で無罪不起訴だったにも関わらず「あの人は間違っている」とネットで拡散されることは、一見正しいようにも見えるが、自分が反転立場になった時の事を想像して、ちょっと立ち止まって考えるべきではないかと思っている。

勝部:それに関して私は「法治国家の不備」が原因ではないかと考えている。セクハラの問題なんて、法治国家がしっかり機能していればmetoo運動なんて起こらない。
あれは法治国家が機能していなくて、セクハラの状況という犯罪の状況があるにも関わらず、加害者が罰せられないという鬱憤が溜まった爆発だと思っている。

metooのような個人攻撃、社会的制裁を無くすためには法による制裁をしっかり機能させる必要がある。それがアメリカにおいてもまだまだ機能していない現状がある。日本なんてもっともっと機能していない状況にあるので、法治国家というものをもっともっとブラッシュアップさせることが今後の課題だと思っている。

おときた:勝部さんがおっしゃることはごもっともで、その問題をみんなが思ってくれれば良いと思う。しかしmetoo同意者の8割位はたぶん表面的な個人攻撃になってしまっている。攻撃するなら個人ではなく、社会のシステムや風土に対してみんなで声を上げていくことがあるべき社会だと思う。それを1人のこととか1つのケースになると正しさが証明できないし、運動自体も蛸壺化してしまって広がりが持てなくなる。最近アメリカでも言い出しっぺの1人も事件を起こしていたというニュースがありネットで炎上している。結局個人に寄ってしまうと、もしその個人が事件を起こした時に全部流れが反転して、「やっぱりねー」「意味なかったじゃん」ということになってしまう。なのでそういう所に限定してはいけないと思っている。

篠原:SNS社会の良いところでもあり、難しいところでもありますね。

何が悪いのかを一歩考えることが大事

おときた:コントロールができないし、意見を上げやすくなったのは良いが、そうなった時にちょっと立ち止まって、何が悪いのかを一歩考えることが大事。
短絡的に「この人がダメ」と言うのではなく、なぜこんな事が起きたのか?とかその背景には何があるのか?を考える必要がある。そこには法治国家の不備があるのかもしれないし、企業の商業恣意があるのかもしれないし、政治のシステムが悪いのかも知れないしという所まで考えなければムーブメントではなくただのお祭り騒ぎで終わって社会運動にはならない。だから今metooは狭間にいると思う。ちゃんとした社会運動になれるのか、ただのSNSでのお祭り騒ぎで終わってしまうのか。まだボーダーにいるように僕は思う。

勝部:財務省がセクハラ防止研修をやったりとか実際に動いてはいる。全然まだまだではあるが、あれは一応つながっているとは思う。

おときた:それこそ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にならないようにする必要がある。もう既に財務省あたりは忘れはじめているフシがある。次の選挙の結果にまで繋げられないとなかなか危機感が出てこない。
僕はやっぱり政治家だから選挙を細かく見ているが、その盛り上がったところが、選挙には全然反映されてこない。若者の投票率が上がったかと言えば目に見えては上がっていない。その部分にもう1個ブリッジをかけられるかどうかが日本の社会運動の大きな課題であり次のステップかなと思っている。

後編につづく〜

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