その古い価値観で生きるのはやめませんか?

食卓に立っているのは誰?

突然ですが、みなさんの家の食卓や台所に立っているのは誰ですか?家族とは同居していない人、一人暮らしの人、「そんな昔のことなんか忘れたよ」と言う人、いろいろな生活の形があると思います。でも少しだけ、思い返してみてください。そこには誰がいますか?

多くの人はこう答えるのではないだろうか。「お母さんがいる」「妻がご飯を作っている」と。では、そこに立っていない男性は、家の中のどこにいて何をしているのだろうか?椅子に座っている?新聞を読んでいる?テレビを見ている?お茶を飲んでいる?寝ている?

このような行動に心当たりのある人、この光景が当たり前だと思った人・・・

残念ながら、時代遅れです!

これは「男は仕事、女は家庭」を象徴した光景であり、もはや旧価値観であると言ってもいいだろう。昭和の時代においては、当たり前の光景だったかもしれない。しかし今は、平成を通り越して令和の時代に突入している。同時に、「男性も女性も仕事」をする新生活様式が確立する世の中にシフトしている現状を、何となく察知しているのではないのだろうか。今回は、そのような旧価値観を更新するためのヒントを提供したい。

ドラマのなかの男性たち―『東京独身男子』の世界からみえてくるもの

今回取り上げたいのは、2019年4月から放送された、土曜ナイトドラマ『東京独身男子』のなかで当たり前のように展開されていた場面である。

メガバンク勤務の石橋太郎(高橋一生)の趣味は、ドラマのなかでもよく紹介されているように、料理だ。一人暮らしの自宅キッチンには、こだわりの調味料を大量に並べるほどの料理好きであり、どうやらその味もプロ級らしい。作中での石橋太郎は、「家事がデキる男性」として何度も紹介されている。会社での仕事をこなしながら、料理をはじめとする家事を率先して行う男性がいるという世界観をドラマのなかで作ることは、非常に良い傾向にあると思う。だが、作品を見ていくうちに、いくつかの疑問が出てくるのである。

先に、疑問以前に違和感を持った部分がある。それは作中での登場人物の設定である。作品を観ながら、しばしば心の中で以下のように叫び散らすことがあった。

「石橋太郎(高橋一生)、(設定上の)スペック高すぎ!」

「こんな人、そうそういないでしょ!!」

現実には、石橋太郎のように、一人で何でもできてしまう男性はどれほどの割合で存在するのか。作中の石橋太郎は、仕事や家事に関しては完璧な男性として描かれているが、それはあまりにも現実とかけ離れた設定のもとで成り立っている。この作品を見て、「自分も仕事と家事の両立をしなといけないのか・・・」と絶望した男性も一定数はいるのではないだろうか。他の男性陣もハイスペック設定である。石橋太郎の友人である三好玲也(斎藤工)は、東京の一等地で審美歯科クリニックの経営者を、同じく友人の岩倉和彦(滝藤賢一)は、弁護士事務所のボスをそれぞれ演じている。

かけ離れた理想と現実

日々家事に奮闘する一人暮らしのサラリーマンが主人公の物語ならまだしも、初めからハイスペックな登場人物をそろえ、彼らが営むハイクラスの生活を見せられたところで、視聴者は何をどう評価するのが正解なのか。もちろん、受け手により感じとるものは異なるのは当然なので、正解は存在しない。ただ、この作品を観て共感できる人がどのくらいいたのかは疑問である。日頃からハイクラスな生活をしている層にはウケたのかもしれない。一方で、庶民には理解しがたい世界観を描いているのも事実であり、独身男子3人組は庶民が経験しようもない生活を毎度のように展開する。

また、将来はこれくらいの生活が送れるほどの資産を形成し、優雅な暮らしをしたいと意気込ませることに、一部の層に対しては成功したのかもしれない。だが、その効果がみられるのもごく限られたの層のみであろう。作品への共感度が高く、視聴者自身のリアリティとの近接性があり、それでいてウケることを考えると、非常にターゲット層が狭い作品であるともいえる。さらには、「家事を完璧にこなす男性像の押しつけ」が目立って仕方なく感じる。こうなったらドラマのタイトルは、『東京独身貴族男子』でもよかったのではないだろうか。

『東京独身男子』の作品全体を通して、「視聴者に何を伝えたかったのか?」という疑問はかなり残る。仕事もできて、家事もできる。そのような理想の男性像を描いた上で、「あえて結婚しない男子(作中では「AK男子」と呼ばれている)」が、「イマドキは格好いい男子」だということを表現したかったのだろうか。それだとあまりにも短絡的すぎる。ドラマの最後は、石橋太郎が、友人である三好玲也の妹・三好かずな(仲里依紗)への同棲を持ち掛け、それが受け入れられたシーンで終わっている。ハッピーエンドだ。

家事は一人で完璧にできないとダメなの?

ドラマを見ている最中に率直に感じたことがある。男性が率先して家事をする世の中にはなるのは良いことだし、実際今の社会もその方向に向かっている。だけど、「男性であれ女性であれ、別に『完璧に』家事をする能力は求められてはないよね?」と思ったのである。そもそも、仮に夫婦であるならば、「家の事」は分担して、お互いができる時にできることをしながら支え合っていくものなのではないのか。一方が完璧にこなせることを、もう一方がサボっていいことの口実にしてはいけない。完璧な男性像を描き、世の中の女性を(キャストを含め良い意味で)騒がせた『東京独身男子』から学ぶべきことは(良くない意味で)多い。あくまでもドラマのなかでの話。メディアが押しつけてくる価値観に惑わされないようにすることが重要だ。

時代に沿った価値観で行動を

一人暮らし世帯の人はどうだろうか。毎日遅くまで仕事をして、スーパーで買い物をして、帰宅して、料理をして、洗い物をして、洗濯をして、翌日の準備をして・・・。このような生活を続けていては、自由な趣味の時間を持つことすらできず、疲労しか残らない。今や近くのコンビニでも、出来合いの食料品は気軽に買える環境になっている。最近では、「母親ならポテトサラダくらい自分で作れ」と、コンビニで女性に言い放った高齢男性の話題で、その賛否の議論が繰り広げられていたことが記憶に新しい。当然、男性全員に当てはまることではないが、こうした発言をする世の男性は、女性に何を求めているのだろうか。「女性が料理をするのは当たり前?」「男性は作られた料理を待つのが当たり前?」。旧価値観の押しつけをこの時代にも行うのだろうか。

そんな世の中、息苦しくないですか?

コンビニも上手く利用すれば、立派な家事の応用である。栄養素を基準に考えて購買行動を行う人は、むしろ堅実に見えてくる。食卓に並べられる料理を黙ってじっと待っている人に比べると、断然デキる人である。これからの時代を生き抜く上で、コンビニ商品と共存できる人は、むしろ新たな家事スキルを持った達人である。

おわりに

昨今の人気ドラマをはじめ、メディアは依然として大きな力を持っている。しかし、一度立ち止まって考えてみてほしい。どんなに人気で定評のあるドラマや映画のなかにも、「あなた自身が感じる違和感」はないだろうか。「そんな違和感探しをするより純粋に作品を楽しみたい」という視聴者の方が、圧倒的多数だろう。とはいえ、『東京独身男子』のように、「家事(料理)」という一つのテーマでも語れることはいろいろあるのだ。「女性が家事をするのは当たり前?」「今時の男性は完璧な家事ができないといけないの?」など。ドラマの世界観と自分自身の生活がかけ離れていたとしても、何か一つのテーマに集中して、あなたなりの考えを持ってほしい。たとえば、育児、介護、学校や職場の環境、遊びの場、飲み会の場など。目を凝らして観ていると、作品中では美談にされているが、現実では「ありえない!」と言いたくなることは意外にも多い。少しでも違和感を持ち、違いの発見をしたら、周囲の人と話してみてほしい。そういった簡単にできる小さなことの積み重ねは、男性や女性の二元論でものを語ることからの解放につながり、私たち自身もより豊かになる。

それでも旧価値観の押しつけをする人は、存在し続けるだろう。働き盛りの世代、育児に一生懸命な親世代、親の介護で手一杯な子ども世代。現代社会には、いろいろな生活の形が存在しており、そこでの生き方や工夫の仕方も人の数だけ存在している。何が正しくて、何が正しくないのか。そのようなことを考える必要はない。これからの新たな時代を生きる私たちにとって、より生きやすい選択をしてほしい。もちろん、生活上での悩みや家庭での悩みがあれば、周囲に相談するのもいい。そうしたネットワークを持っていなければ、インターネット上で相談するのも一つの手だ。使えるものは賢く使っていこう。


紀本知都子

一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダー平等の観点から誰もが生活しやすい社会を目指して活動中。

女性らしく生きるということ―出産の選択―

「女性は子供を産む機械」発言

2007年1月27日、当時の厚生労働大臣は、講演会の途中で衝撃的な文言を放った。「15から50歳の女性の数は決まっている」「産む機械、装置の数は決まっている」。いわゆる「女性は子供を産む機械である」発言だ。これは、社会福祉や社会保障などの政策を担当する省庁の大臣として、恥ずべき事態である。たしかに、今の日本社会は少子化が進んでいる。だからといって、このような発言が許される日本社会のすべてを受け入れる必要はない。

女性だから子供を産まないといけないの?

子供は女性にしか産めないというのは事実である。だから、男性のお偉いさんは全国の女性に対して、少子化を食い止めるために子供を産むように催促するのだろう。しかしながら、子供を産むか産まないかは、それぞれの女性個人が決めることであり、国民の義務でもなければ使命でもない。社会が子供を産むことを求めているからといって出産をするのと、女性自身が子供を産みたいと決意して出産をするのとでは、まるで意味がちがってくる。

昨今では、“意識的に”子供をもたない夫婦やその生活観のことを指す「DINKs(ディンクス)」という言葉も使われ始めている。Double Income No Kidsの略称で、「2収入で子供なし」という意味だ。女性が社会的に活躍できる場が増えるにつれ、共働きをする夫婦が増え、DINKsという言葉が使われる場面も増えてきている。“意識的に”子供をもたないというのは、パートナー同士で話し合った上で、子供のいない生活を選んだ夫婦間の合意が根底にある。

女性が女性らしく生きるために

「女性だから子供を産まないといけない」というのは、もはや時代遅れの考えであるが、それを世の女性に対して強調してくる社会からの圧力は依然として残っている。これまで専業主婦としての役割を果たすことを最優先に求められていた女性が社会に進出し、キャリアアップを目指して働ける世の中に変化している。時代の変化とともに、働き方も生活の様式も変化していく必要がある。

もちろん一方では、子供を産み・育てる女性が存在することを忘れてはならない。話し合いを重ねた結果、そのような家庭もあれば、別の選択肢をつかんだ家庭もあるのだ。「女性が輝ける社会を」といった決まり文句は、どこにいてもよく聞くものである。女性が女性らしく、自分らしく生きるということを、変なお偉いさんの言葉なしに考えてみてほしい。

 


紀本知都子
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。
これまでに地方での首長選挙、都市部での地方選挙・国政選挙を複数経験しており、さまざまなレベルの選挙を調査・分析している。しかし、多くの候補者や政治家、その関係者との話や現場での経験を通じて、政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダーの観点から社会をみる必要があると感じるようになった。男性や女性といった性別に捉われることなく、誰もが安心して生活を送ることのできる社会づくりを目指して活動中。