主要先進国(G7)に注目して考える「ジェンダーギャップ指数」

 

えりこ
こんにちは。ジェンダーイコール代表の田渕恵梨子です。
先日、「ジェンダーギャップ指数2021」が公表されました。
日本は相変わらず主要先進国最下位です。。。
ジェンダーギャップ指数の公表は2006年から始まり、今回で15年になります。
当時からどのような推移をたどっているのでしょうか?
今回、主要先進国に限定して、2006年から2021年の推移を分析し、変化を検証してみました。
ぜひご覧ください。

ジェンダーギャップ指数とは?


「ジェンダーギャップ指数(The Global Gender Gap Index=GGGI」は、男女格差の度合いを示す指数です。
スイスの非営利財団「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が、男女間の格差を経済・教育・健康・政治の4分野の指標を用いて測定し、毎年公表しています。

スコアは、男性に対する女性の割合で算出されています。
「1.000」に近づくほど、男女格差が少なく、「0.000」に近づくほど、男女格差が大きいことを示します。

日本の順位は?


2021年3月31日、「ジェンダー・ギャップ指数2021」が公表されました。
日本は156ヵ国中120位。
前回の「2020」では、日本は153カ国中121位で、過去最低を更新しました。
順位だけで見ると、今回は120位なので、1ランク改善しているように見えますが、参加国が前回より3ヵ国増えています。
ですので、割合で見ると前回よりも順位が後退したことになります。


15年前、日本は「79位」だった


ちなみに、2006年測定開始当初の日本の順位は115ヶ国中79位でした。
当時より参加国が41ヶ国増えているとはいえ、割合では10位ぐらい後退しています。

主要先進国(G7)のスコア推移


上記グラフは、主要先進国(G7)の全体スコアについて、2006年から2021の毎年の推移を表したものです。1番下の赤色が日本です。

繰り返しますが、スコアは、男性に対する女性の割合で算出されています。
「1.000」に近づくほど、男女格差が少なく、「0.000」に近づくほど、男女格差が大きいことを示します。
2021年の日本の全体スコアは「0.656」でした。

内容をよく見ると、2006年の全体スコアで、0.7以上の国と、0.7未満の国とで分かれていることがわかります。

0.7以上は4ヶ国(ドイツ、イギリス、カナダ、アメリカ)です。「優等生組」と名付けましょう。
そして、0.7未満の国は3ヶ国(フランス、イタリア、日本)です。こちらを仮に「落ちこぼれ組」とします。


上記は、2006年と2021年でのスコアの変化(伸び率)を表したものです。
伸び率のトップ2は落ちこぼれ組だったフランスとイタリア。どちらも2021年でスコアが0.7以上となり、優等生組に追いつきました。
日本だけが落ちこぼれのままです。

分野別スコアで見る「落ちこぼれ組3ヶ国」の変化


次に、落ちこぼれ組3ヶ国の分野別スコア(経済・教育・健康・政治)について、2006年と2021年の変化を見てみましょう。
2021年がピンク、2006年がグリーンです。


フランスは、教育分野のスコアは2006年の時点で1.000で「完全平等」でした。2021年も変わっていませんので横ばいです。
健康分野のスコアは2006年から若干下がっていますが、気にするレベルではないと思います。
経済と政治分野は大幅に改善されていることがよくわかります。


イタリアもフランスと同様、教育分野のスコアは横ばいです。
健康分野のスコアも同じく若干下がっていますが、こちらも気にするレベルではないでしょう。
経済と政治分野はフランスほどではないものの、大幅改善されていることがわかります。


日本。経済分野が若干改善されたものの、他の分野はすべてマイナスです。

まとめ


今回、主要先進国7ヶ国に注目して、データを分析・検証しました。
日本は、15年前と比べて全体スコアがたった0.01しか改善していないという残念な結果となりました。分野別スコアで見ても、経済分野以外はすべてマイナスです。

2006年、日本と同じ落ちこぼれ組だったフランスとイタリアは15年間でがんばって改善し、優等生組の仲間入りをしました。
なぜ日本だけが改善できないのでしょうか?
「そもそも改善する意思が無い」と捉えられても仕方ありません。
これって、ただの怠慢では?

改善策はいくらでもあると思います。しかし、15年前とほぼ変わらないジェンダーギャップのある状況下での即時改善は容易ではありません。
意識の変わっていない大人たちに「意識を変えよう!」と声高に叫んでも非効率です。
とはいえ、せめて、日本の未来を背負う次世代の若者たちに、我々大人の古い価値観を押し付けるのはやめませんか?それ位の意識は持ちたいものです。

そして個人的な意見ですが、改善策としては、教育分野を見直すことが最も重要だと考えています。この件については、来週公開予定の別記事にて詳しく書きましたのでそちらをご覧いただければと思います。

今回の記事を読んで、みなさまはどう感じられましたか?
コメント欄に感想をいただけるとうれしいです。


ありがとうございました!

失言報道から政治を考える

「ジェンダー」というものを学び始めてもう少しで1年になる。そもそも私の専門は政治社会学であった。ではなぜ、1年前からジェンダーを学び始めたのか。それは、日本の政治分野における女性の比率が、他の先進国に比べて著しく低く、依然として、旧来の日本の制度や慣行が政治分野をはじめ、身近な日常生活の場でも蔓延っていることを目の当たりにしてきたからだ。

前半は多くの人にとって身近なSNSを例に、後半は政治と女性についての問題提起をしながら考えてみたい。

ネット上での情報の拡散と錯綜

近年のメディアは、政治家の失言を取り上げて世論を操作する傾向にある。報道された失言の内容を詰め込んだ記事や、それに対するあらゆる人の個人的見解はSNS上で拡散され、テレビで流された映像も同様に切り取られてSNS上で拡散される。特に、Twitterでのリツイート数はすさまじく、またたく間に日本中、そして世界中に発信されている。

テレビや新聞といった媒体を用いずに、SNSだけで日々の情報収集をしている人はどのくらいいるのだろうか?誰かのツイートに対して疑いの目を向けずに、そのまま鵜呑みにしている人はどのくらいいるのだろうか?ネット上の事実らしきものを裏づける根拠探しをしている人は、どのくらいの割合でいるのだろうか?


私はSNSの利用や、SNSでの情報収集を否定するつもりはない。ただ、正確な情報収集を行った上で、日々目の前を過ぎ去っていく膨大な話題に対して、自分なりの見解や疑いを持ってほしいと思う。「政治家はみんな嘘つきだ!」「政治家は何もしてくれない!」と、勝手に、一方的に決めつけてしまう前に。個人的には、自分の地元の政治家でもいいし、何となく気になっている政治家でもいいから、“推しの政治家”を見つけておくことをおすすめする。その人たちが日々何をしているのか、政治家ウォッチャーとして政治をみる目をやしなうのも一つの手だ。

政治家の発言にせよ失言にせよ、切り取られた部分がその場で起こった全ての出来事ではないことは、すでに多くの人は知っていることだろう。しかし私たちは、知らず知らずのうちに、指一本で確かかどうかわからない情報を別の人に流し、拡散するという行為に至っている、というのもまた事実である。時短や効率化といったものが重視されているとはいえ、「みんなが拡散しているから自分も拡散しよう」「いいねの数が多いから、とりあえず自分もいいねをしよう」といったSNSの使い方をしているならば、少し立ち止まってみてほしい。「この情報は本当なのか?」「誰がどの文脈で言っているのか?」ということを意識しながらSNSを利用しているだろうか。時間があるときには、リアルタイムで国会中継を見てみると面白いかもしれない。

失言によるジェンダー問題の浮上

現在進行形で、政治家やその関係者が失言を繰り返すことにより、(いまさら)ジェンダー問題が日本社会に浮上し、認知されるきっかけとなっている。より良い暮らしを実現させるために市民の意見を聴き、政策を実現していくのが、本来の政治家の活動であり仕事である。だが、ここ数か月の政治家や関係者の発言をニュースのなかで見聞きしていると、「政治家の仕事とは・・・?」という疑問が浮かび上がってくる。

「13歳のハローワーク公式サイト」の人気職業ランキング(2021年1月時点)によると、1位はプロスポーツ選手、2位は薬剤師、そして3位は、ここ数年で上位の常連となっているYouTuberだ。

人気職業ランキング(2021年1月)【13歳のハローワーク 公式サイト】

そして政治家はというと、62位の不人気状態となっている。今の政治家を見て政治を志そうとする若者が少ないのは無理のない話である。

きっかけは何であれ、ジェンダーに関する不適切発言が世間を盛り上げていることに変わりはない。遅ればせながら、「ジェンダー」そのものへの市民の関心は高まってきている

性別に関係なく人間は平等であるにもかかわらず、一国の上層に位置する人物が女性蔑視の発言をすることは異常である。本来なら、世界の先進諸国と同水準のジェンダー観を持たなければならないし、ジェンダー教育が当たり前に行われていなければならないが、日本のジェンダーに対する水準は明らかに低いというのが現状である。

世間は女性の政治参画を期待しているのに

2019年9月、内閣府は「女性が増える方がよいと思う職業や役職」についての世論調査を実施した。

男女共同参画社会に関する世論調査 – 内閣府HP


このデータから、企業の管理職に次いで、国会議員・地方議会議員が、世間的にも求められている女性の職業であると言える。求められてはいるものの、なりたい職業ではない。求められてはいるものの、依然として日本では多くの女性が政治の現場に加わる機会が少ない。

多くの人が女性の政治家が増えることを期待しているにもかかわらず、なぜ実現しないのか。その理由の一つに、いわゆる「古い」日本の制度や慣行により、今日まで、女性とっては非常に参入しにくい構造のままの政治が維持されていることが挙げられる。さらには、政治を行う上層部の人間が女性の介入を許さない(「政治は男性が行うものだ」という、古すぎる考え方を曲げることができない?)のも現状だろう。

男性が中心となって行う政治は明らかに時代遅れである。女性が積極的に政治に関わっていく、女性ならではの経験を生かして、これまでになかった新たな政策を打ち出す。その環境を整えていくことがまさに、今の政治やひいては男性の政治家に求められているのではないのだろうか。残念ながら、「女性も頑張ってほしい」という声のみでは、女性が政治家になることは難しい。少なくとも、一定の男性(政治家)による支援は不可欠である。ただでさえ女性に厳しい社会のなかで、そして女性の参入が最も遅れている政治のなかにおいて、どんなに意欲があっても、女性のみで活動することには限界がある。そういった場面に出くわした男性(政治家)は、果たして女性に手を差し伸べてくれるのだろうか?これは、日本社会全体に通ずる問いかけでもある。

なぜ今の日本社会は女性に厳しく、男性が優遇されがちな環境になっているのだろうか。周知のように、男性が主体となって、政策、法律、制度をつくってきたからである。そこに女性が参入するのは、それほど難しいことなのか?女性の視点で社会を変えていくのは、それほど不都合なのか?なぜ男性主導で社会をつくろうとするのか?なぜ女性を飾り物として扱うのか?女性の会議が長いことの何が悪いのか?

多くの政治家や関係者の方々に問うてみたいことは、それこそ山のようにある。


紀本知都子
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。
政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダー平等の観点から誰もが生活しやすい社会を目指して活動中。

北区都議補選ポスターから考えるジェンダー学習会Part2

こんにちは!篠原くるみです。
2/20(土)に、北区議会議員のうすい愛子さん(立憲民主党)・せいの恵子さん(日本共産党)とジェンダーイコールの共催で「北区都議補選ポスターから考えるジェンダー学習会Part2」を開催しました。
講師は、弁護士で「これからの男の子たちへ」の著者である太田啓子先生。
オンラインでの開催になりましたが、約30名の方に参加していただきました。

※この学習会は、北区内外で注目を集めた “アベノマスクブラポスター” について、「表現の自由だから OK」「女性が性的に見られる表現は NG」で片付けるのではなく、背景や問題点を整理して、ジェンダーに問題意識を持つ人が自らの「言葉」の獲得に繋げられるよう参加者の皆さんと考えていくイベントです。

男の子を育てる親として/弁護士としての問題意識

太田先生は、小学生の息子さん2人を育てられています。
子育てをするうえで感じる問題意識を次のようにまとめられていました。本当に全部あるあるですが、よくよく考えるとまずい.. それも、全部自分が子供のときからずっとあったことです。

  • 「男子ってバカだよね」問題
    女の子なら「やめなさい」と言われる問題行動を、「男子はバカだから仕方ない」で片付けられてしまうことが多いのでは。
  • 「カンチョー放置」問題
    身体への攻撃はれっきとした暴力・性暴力であるのに、問題が矮小化されている。最近はなくなってきているが、スカートめくりも同様。
  • 「男子は好きな女子に意地悪しちゃうもの」問題
    行為の有害性を「好意」でスルーしてしまう。好きイコール意地悪するって、原因と結果が繋がっていないし全然理由になってないですよね..

それから、弁護士として離婚問題を扱ううえで、やはり経済力を持ちにくい女性の立場が弱いことが多く、マクロの構造がミクロにスライドし性差別が凝縮していると感じるそうです。また、生まれながらに差別をしている人はいないけれども、根拠のない性差別的価値観を内面化している男性が多く、「40年前からやり直して..!」と感じることが本当によくあるということでした。
男の子の親として、ご自身が男性の人生や価値観を預かる立場になり、「差別構造へのぶつかり方が男女で違う」と感じ、性差別を無くすためには子ども時代からの教育が必須では?と考えるようになったそうです。

大ヒットとなっている太田先生の著書「これからの男の子たちへ」。男の子のいない親であるわたしでもとても納得することや勉強になることがたくさん書かれていて、どんな人が読んでも気づきがある本だと思います。
著書の中で先生がこれからの男の子たちへ伝えたいことは、次の通りです。

  • 男らしさの呪いから自由に生きてほしい
  • 男性の持っているマジョリティの特権を理解した上で、性差別に抗ってほしい

「有害な男らしさ」とは?

(前略)1980年代にアメリカの心理学者が提唱した言葉です(英語では Toxic Masculiniity)。社会の中で「男らしさ」として当然視、賞賛され、男性が無自覚のうちにそうなるように仕向けられる特性の中に、暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする有害(toxic)な性質が埋め込まれている、という指摘を表現しています。

「これからの男の子たちへ」より抜粋

少年漫画でもわりとそんな感じのキャラが多い気がするし(アイコンとして描写しやすいのでしょうが)、無鉄砲賞賛みたいな感じですかね..
もちろん問題を乗り越えていく強さは必要ですがそれは性別によらないはずだし、他者に対して支配的・暴力的になったり、女性を必要以上に弱者扱いしたり、「男らしさ」のレールに乗らないキャラの男の子が生きづらくなるといった弊害が大きそうです。

「女の子には優しくしなさい!」も子供と関わっているとよく聞くワードです。なんだかジェントルマン教育みたいに聞こえますが、これもだいぶ怪しい教えだなぁと常々思っていて。
じゃあ男の子には優しくしなくていいの?だし、もっと裏を読めば、「女の子」の枠に嵌らない女性=自分の期待する女性像に当てはまらない女性(=「わきまえない女」!)には暴力的になったとしても相手が悪いのだから仕方がないという思想に繋がるのではないかという危険性を感じます。
そもそも「人には優しくしなさい」だし、もっと言うと「植物とか動物とか地球とかの万物を含めた他者に優しくしなさい」なんですよね。

このトピックに関して、素敵な動画を紹介してくださいました..!

男の限界 海外CM日本語字幕 P&G Gillette

都議補選ポスターの問題点

まず現状、法的に当該ポスターを禁止することはできません。

  • 公職選挙法上は問題なし
  • 猥褻にも当たらず、取り締まれない

その上で、何が問題であるか。
違法じゃなかったら何をやってもいいのか?というとそんなことはなくて、

  • 公共空間におけるゾーニングの問題
    第一回目の講師を務めてくださった西山先生は「立候補者本人の意思は関係なく、見ざるを得ない市民への強制ポルノ(イメージ)視聴、強制的ポルノ共有の問題と思います。」とコメントしてくださいました。また、嫌煙権と同じように嫌ポルノ権も必要なのでは、というご意見もありました。
  • 女性性全体に対する侮蔑を助長する可能性
    女性蔑視的な表現は、このポスターだけでなく社会に溢れています。コンビニに置いてあった雑誌はオリンピックのおかげで無くなり、SNS炎上によって性差別的な広告は格段に減ってきつつありますが、新聞や電車の中吊り広告ではまだまだ女性蔑視的な表現がされています。

ではわたしたちは何ができるのか?それは、「社会通念を作っていくこと」であると先生は話してくださいました。性差別的な表現を面白がる人たちがいなくなれば、作る人もいなくなるということです。

1975年、某食品メーカーがインスタント食品のCMで「私作る人、僕食べる人」という表現をし、「行動する女たちの会」が抗議をし、放送が中止になりました。また、最近では、週刊誌の大学ランキングで女性差別的な表現があり、当該の大学に通う女子大学生が出版社へ直接抗議をするといったことがありました。
ハラスメントや性暴力を「面白がる」風潮は「認知を歪め」ます。社会全体として自分が当事者であるという意識を持ち、差別をなくしていく行動をすることが大切です。

差別や性暴力に対して第三者ができることとは?

明らかに目の前で犯罪が起こりそうならこっそり助けを呼ぶ、とかはできるかもしれないですよね。
じゃあ、日常に転がっている仲間内での「性差別的価値観」への同調圧力に対してどう対応できるのか?
すぐに「違うよ」とは言えなくても、同調圧力に対して「笑わない」など、「問い」を自らの中に持っていることが第一歩だと先生は仰います。

太田先生の紹介してくださった動画を共有します。男性向けとして作られている動画ですが、それ以外の目線で見ることもできると思います。
うーん、行動するって難しいですよね!だけど、こんな時自分だったら何ができるか?と一人一人がイメトレすることで、少しずつでも社会は変えていけるのではないかと思います。

あなたは誰を助けますか? 海外CM日本語字幕 Who will you help?
#ActiveBystander =行動する傍観者

男の子は確かにかわいい!だけど。

学生時代、男子がいわゆる男子ノリでふざけてるのを見てて微笑ましいと思っていた記憶もありますし(中学の時クラスの男子が人が3人くらい入る落とし穴を掘っていたとか..)、その空気感をコンテンツ化しているYouTuberなんかは確かに面白いと思います。

うちには男の子がいないし、自分にも男兄弟がいないので、あまり身近に「男子」を感じたことがないのですが、子供のお友達を見ていても男の子はいつまでも無邪気で本当に可愛いな〜と思います。
ですが、ジェンダーギャップのことを考えるようになってからは、「ふざけて」「おバカをやることが許されている」男の子の方が、我が子(女の子)よりも社会的な期待値がはるかに高いんだよな、、と考えてしまい正直モヤモヤしてしまう側面もありました。
なので、太田先生が「男の子はおバカで可愛い」をジェンダー差別・格差と結びつけ、しっかり言語化して問題点を整理し発信をしてくださっていることがすごく頼もしいと思いました。

「性別なんて関係なくて、誰でもやりたいことを実現できるんだよ」と子供達へ伝えることも大事ですが、それだけでは不十分で。
今はジェンダーによってこんな問題や社会的抑圧があるから、それぞれに応じた乗り越え方をしていかなくてはいけないと伝えることも本当に重要だなと改めて感じました。

「森喜朗氏不適切発言」についての田渕見解

えりこ
こんにちは。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議委員会にて不適切発言をされた件について、ジェンダーイコール田渕の見解を表明しておきたいと思います。

発言が多くて時間のかかる会議は問題?

森会長は、女性理事を増やすJOCの方針に対する私見として、以下の発言をしたとされています。

  • 女性理事を選ぶっていうのは文科省がうるさく言うんです。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。
  • ラグビー協会、今までの倍の時間がかかる。女性は今、5人か。女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。それで、みんな発言される。
  • 女性の数を増やしていく場合は、この発言の時間もある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困る、と誰かが言っていた。
  • 私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんなわきまえておられて、みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている

これを読んで、女性蔑視発言であることは間違いありませんが、「そもそも森会長ご自身は、何を問題視しているんだろう?」と、疑問に感じました。

確かにダラダラ議論が長引くのは考えものですが、もしそんなことが続くようであれば、長引かないように会議ルールを決めれば済む話です。そもそも会議において発言が多いことは喜ばしいことであり、むしろ発言が無さすぎて結論が出ずに長引く会議だってあるはずです。
森会長は、「わきまえてもらう」ことに居心地の良さを感じる方なんだと思いますが、わきまえる社会に問題があるからこそ、多様性が注目を浴びているのです。司馬遼太郎の「峠」によると、江戸時代の武士たちで行われる藩会議などでは、みんながわきまえすぎて結論が出ずにダラダラ会議が続くことはよくあったそうですよ。江戸時代まで遡らずとも、現代の日本企業において無駄な会議が多いという声はよく聞くと思います。建設的な議論の向き不向きに性別は全く関係ありません。
むしろ森会長の周囲にいる方々が同質的すぎて、全く多様性に欠けているのでは?それこそ大問題です。

要は時代に合っていない

もう83歳のご年配者に対してあーだこーだ言っても無駄だということは誰もが痛いほどよくわかっていると思います。

世代によって、生きてきた時代の背景が違うんだから、価値観が違って当然です。

森会長は1937年生まれで現在83歳でいらっしゃいます。
幼少期は戦時中であり、青年時代は性別役割分担が明確だった高度経済成長期です。性別役割分担が不要になった現代の日本とは全く違う時代背景で生きてこられた方なのです。

つまり、森会長が問題なのではなく、「多様性」を大会ビジョンに掲げている今回の東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のトップに森会長を選んでいることが大問題なのです。

結論

という訳で、私としては、価値観の違う背景の時代で育ってきた森会長個人を批判するつもりは全く無いです。むしろ長年にわたって政治家として日本を牽引され、また日本のスポーツ発展のために奔走されてきたご功績には尊敬の念しかありません。
しかしながら、今回のご発言は、どう考えてもオリンピック委員会会長としてはふさわしくありません。それとこれとは切り離して考える必要があります。

もうそろそろ潔くこの辺で辞任された方が良い。辞任されることで、他の政治家や権力者へのジェンダー差別発言の抑止力になるでしょう。それが功を奏し、日本の多様性発展につながる可能性も大いにあります。潔く辞任された方がかっこいいです。

ジェンダーイコール田渕は、森会長の辞任を希望します。


change.orgにて、「女性蔑視発言「女性入る会議は時間かかる」森喜朗会長の処遇の検討および再発防止を求めます」というオンライン署名活動が実施されています。
今回の件を問題に感じた方はぜひ、こちらで賛同表明をされてみてください。

一人ひとりの行動がより社会を変えます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

NPO法人ジェンダーイコール代表理事 田渕 恵梨子

性的同意って何?刑事司法を考えるジェンダー学習会

こんにちは!篠原くるみです。
1/31(日)に、北区議会議員のうすい愛子さん(立憲民主党)・せいの恵子さん(日本共産党)とジェンダーイコールの共催で「性的同意って何?刑事司法を考えるジェンダー学習会」を開催しました。
講師は千葉大学大学院教授(刑事法)の後藤弘子先生。
オンラインでの開催になりましたが、約20名の方に参加していただきました。

問題点

  • 性交同意年齢が低すぎる
    日本における性交同意年齢は13歳で、他の先進国と比較して低年齢。そもそも、その前に必要なはずの性教育が十分に行き渡っていない。
  • 性被害/性加害のジェンダー不均衡
    例えば男女間の性暴力で女性が被害者だった場合、女性は被害を受けたにもかかわらず責められることがある。男性の場合は”武勇伝”になることも… 発生する行為に対して、ジェンダー規範の不均衡がある。
    また一方で、生物学的な性差間においても不均衡がある。日本では Abortion pill は認められていないため、これを使って堕胎した女性は自己堕胎罪で犯罪者になる。もし手続きの上で中絶をしたとしても、性被害を受けた上に堕胎という罪悪感を何重にも植え付けられることになってしまう。
  • 性犯罪に対する構成要件のハードルの高さ
    日本では、「暴行」「抗拒不能」などの要件を証明しない限り、加害者は罪に問われない。

同意のない性行為は性暴力。では、同意とは?

内閣府の #性暴力をなくそう #パープルリボン の啓発動画です。
http://wwwc.cao.go.jp/lib_008/no_violence_act/about_r02_01.html

一方で、こちらは後藤先生が出演されたAbemaTVのコンテンツ。
https://times.abema.tv/news-article/8632968

日本学術会議が提言した「同意がない性行為は犯罪とすべき」について議論しているのですが..
後藤先生と他の出演者の方々(性差別をしているわけではないが、特にジェンダーに問題意識を持っていないと思われる人たち)との間で、「同意」の線引きに大きな認識差があるようです。

では、この認識差がなぜ生まれるのか?先生は次のように考えたそうです。

  1. その場を支配する権力
    「嫌だったらノーと言えるでしょ」「思わせぶりなことをしたんじゃないの」「自分だったら逃げられる」
    これは、その場を支配する権力を持っている人の考え方だと捉えることができます。
    子供と大人、配偶者間、上司と部下、学校や指導の場。多くの場合、人間関係には何かしらの上下関係があります。
    これにはジェンダーギャップも関係していて、女性は社会的・経済的地位の低い立場になりやすい。さらに、「男を立てる」「女性は従順であるべき」のようなジェンダーバイアスを、男性も女性も内面化していることが多々あります。(一方で、女性の権力者ほど自分の権力に鈍感になりやすいという話もありました。)
    性犯罪で無罪になるケースはほとんどが不思議。しかし、裁判官=権力を持っている人たちにとっては、ノーと言えない・抵抗できない心理状態が想像できません。その結果、無罪判決が下されていると先生はおっしゃっていました。
  2. 相手を尊重するコミュニケーション=意思確認の大切さ
    日本語は「ハイコンテクスト」な文化だから、性行為に対して明確に意思確認を取るようなことは難しいのでは?という意見がありました。「空気読む」「雰囲気壊さない」「行間読む」みたいな感じですね。
    この「日本の文化」で片付けられてしまうのって、ジェンダーの議論においては典型的なんですよね.. 各国の文化はそれぞれですが、人権は共通のはずです。
    言語のコミュニケーションでも全然意図と異なる捉え方をされてしまうことだってあるのに、非言語のコミュニケーションは尚更伝わりにくいということは容易に想像がつきます。相手は自分ではないのだから、1つ1つ丁寧に確認をしていくことが大切です。

この「同意」が、性犯罪に対する構成要件と関わってきます。
日本では、「暴行または脅迫があった」もしくは「(意識がないなど)抵抗できない状況にあった」ということが認められなければ、性暴力は犯罪になりません。また、訴えを起こすには「いつ・どうやって」を明確に証言しなければなりません。

日本学術会議では、国際人権基準を反映し、「同意の有無」を中核とした刑法改正をするべきと提言しています。

  • No means No 型:「No」の意思表示があれば犯罪に。国連、イスタンブール条約→イギリス・ドイツ・カナダ等。
  • Yes means Yes 型:「Yes」のみが同意。スウェーデン。行為を始める人に確認の義務を負わせ、確認を怠れば処罰される。これが最も「同意のない性行為は性暴力=犯罪」としやすい。

「男性化」された刑事司法

そもそも、現在の日本における刑事司法自体が「女性の生」が反映されていないということでした。

どういうことかというと、刑事司法の目的は「侵害された秩序の回復」のはずだけれども、これは1907年(!)時点での秩序がベースになっています。当時は、ジェンダーギャップ以前に女性は男性と同じ社会的権利を持っていなかった。つまり、ここで想定されている「社会における秩序」=「男性にとってあるべき秩序」なのです。
刑事司法は、被害にあった人を救済することが目的であると思いがちですが、権力者の既得権益を守ることに有利に働くように作られている側面があることを知っておくべきだと思いました。

現代においても犯罪者の多くは男性で、司法に関わる人も多くは男性です。
「少年院」とかもその名残ですよね。犯罪を犯した女の子の場合は「女子少年」と言われるそうですよ.. 

罰則強化のトレードオフ

さて、過去に作られた決まりがベースになっているというのはどの国でも同じですが、法改正はそれぞれの国で行われています。
日本では、2017年の刑法性犯罪改正でやっと世界各国の1970-80年代に追いついたとのことでした..

性犯罪の懲役刑は5年以上20年以下になりましたが、基本的なところは1907年から変わっていないそう。
では、抑止力が働くくらいに厳罰化すればいいのでは?と思ってしまいますが、重くすればいいというものではないのだそうです。なぜかというと、厳罰化するほど有罪になるハードルが上がってしまう。
ちなみに、日本での最高刑は死刑ですが、スウェーデンにおける最高刑は懲役21年。絶対的な重さではなく、「法的安定性」といって、他の犯罪も含めた全体のバランスを考えないといけないということでした。

性教育って何をしたらいいの?

「紅茶と同意 Consent – it’s simple as tea」めちゃくちゃわかりやすい..!

子供たちを性犯罪の被害者にも加害者にもさせないことが大切で、それはわたしたち大人の責務です。
では、性教育といえばみなさんどんなことを思い浮かべるでしょうか??

今回後藤先生は、性教育といえばおしべとめしべの話から入りがちだけれども、実は初めから論理を伝える必要はそんなに無くて、まずは自分の意思を相手に認めてもらう・自分の言うことが尊重されるということが性教育の基礎だとおっしゃっていて、なるほどなぁと納得しました。
例えば、今日の挨拶を「言葉だけ」「握手したい」「ハグしたい」.. などと選択肢をあげて、大人はその通りに対応する。自分自身の意思表示にはちゃんと効力があることを、他者が認めることによって理解してもらうということですね。
それと、紅茶の動画にもありますが、「気が変わった」「昨日は/先週は/一年前はOKだったけど、いまはダメ」も尊重されるべきで、これも子供達にぜひ理解してほしいなと思いました。

最後に

わたしは中学の途中まで満員電車に乗って通学していた時期があり、何度か痴漢に遭遇したことがありました。
でも、親や先生には言わなかったし、友達と「今日チカンいて」「まじ?キモいね」くらいで終わらせていました。自分も周りの子もその状況があまりに日常化してしまっていて、被害を被害と認識していなかったんですね..
だけど、わたし達が問題を矮小化してきた結果、いつまでも痴漢はいるし、子供達が被害に遭うわけです。
我が子には「痴漢に遭ったら絶対に言って。そいつのこと社会的に終わらすから」と伝えていますが、言ってくれるかな..
もちろん被害に遭わないことが一番ですが、何かあった時に自分にも落ち度があったかもなんて絶対に思ってほしくない。いつでも味方になる人がいるよと伝えていきたいです。

刑事司法難しそう、、ついていけるかな、と思っていましたが、後藤先生がわかりやすく説明してくださり、現在の刑事司法の問題点を知り、自分にできることを考えることができました。
誰もが被害者にも加害者にもならないことが一番です。だけど、当事者にならない限りは他人事としていてはダメで、今ある問題にきちんと目を向けていきたいと思いました。

2/11、3/7 Twitterデモ #同意のない性交を性犯罪に​

「【緊急署名】不同意性交等罪をつくってください!」署名https://www.change.org/p/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E7%BD%B2%E5%90%8D-%E4%B8%8D%E5%90%8C%E6%84%8F%E6%80%A7%E4%BA%A4%E7%AD%89%E7%BD%AA%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84

あなたはあなた、わたしはわたし

人との差があるのは当たり前

私たちジェンダーイコールは、旧来のジェンダーに対する固定観念を払拭し、「ジェンダーギャップのない社会」を目指して活動しています。ホームページをご覧になっている方には、あらかた理解されていることだと思います。
当団体は、ジェンダーについて考え、ジェンダーに関する情報を発信し、行動することを主な目的としています。ただ、よく考えてみてください。「ジェンダーギャップ」という言葉があるように、私たちの周りで“差”や“ギャップ”があるのはジェンダーに限ったことではありません。そこで今回は、ジェンダーを少し離れた話題を提供していこうと思います。
そもそも世界中を探しても、全く同じ人間というのは存在しません。たとえば、一卵性双生児であっても、それぞれの性格や好き嫌いがあって、完全に同じ人間(クローン)ではありません。人間である以上、個々人で差異があるのは当然ですよね。しかしながら、世の中の人びとの多くは、性別の差をはじめ、体格の差、生まれ育った家庭環境の差、学歴の差、職業の差、収入の差を、個人的なものさしを使って測ろうとします。人の違いを個人的なものさしで測ることには、何のメリットがあり、誰のためになり、何のためになるのでしょうか?

違いがあるから面白い―「みんなちがってみんないい」

当然ですが、人にはそれぞれの個性が備わっているから面白いのです。全人類が同じ顔、同じ性格、同じ感情、同じ服装だったら怖いと思いますよ。こうして私がコラムを書くこともないと思います。全人類で同じ考えや価値観を共有していることになりますから。そう考えると、「人と違っていてよかった」と思いませんか?
私には憧れている人が何人もいますが、その人たちになりたいとは思いません。憧れる職業もいくつかありますが、全ての職業に就きたいとも思いません。全て頭の中の妄想で終わらせて、一人で勝手に楽しんでいます。
童謡詩人の金子みすゞさんは、「みんなちがって、みんないい」と言いましたが、この言葉に込められた意味の解釈は人それぞれです。皆さんはこのワンフレーズをどのように受け止めますか?もちろん、解釈の仕方に正解はないので、好き勝手に理解していいものだと思います。

違いや差は楽しんだ方が心も豊かになる

私の金子みすゞさんの詩の解釈の仕方はシンプルです。ひと言でいえば、人と人との違いを楽しみます。普段は、さまざまな年代や職業の方に取材をすることが多いのですが、たとえば、同じテーマについてお話を伺う時でも、誰一人として同じ意見や感想を持ってはいません。部分的に重複するお話を聞くこともありますが、それでも9割方は新しい情報を得ることができます。人によっては趣味の話にもつながり、私の知らない世界を教えてくれることもあります。知らなかった世界の話を知ることで、だんだんと心も豊かになります。
これが同一人物同士間での取材だったらどうでしょう?「面白い」「楽しい」「もっと知りたい」といった感情すら抱かない可能性もありますよね。そう考えると、やはり人と違っていてよかったと思い知らされます。

大切なのは目の前にいる人を知ろうとすること

「あなたはあなただから、わたしはあなたのことなんてどうでもいい」「それはあなたの問題だから、わたしには関係ない」。このように発言する人や心の中で思っている人は、世の中にどのくらいいるのでしょうか?・・・残念ながら、たくさんいると思います。人の置かれた状況や本心を理解せずに、誤った解釈を発信する人、意図的に悪意のある情報にすり替えて発信をする人。「よそはよそ、うちはうち」ではないのです。「あなたはあなた」であり「わたしはわたし」なのです。お互いの違いを受け止め合いながら知っていく、少しずつ歩み寄っていく、それでいいのではないのでしょうか?
まずは、身近にいる人のことを正しく理解しようとしましょう。誤った理解を進めていくことほど、残酷なことはありません。全ての人を快く受け入れることができないのは当たり前です。もともと違った人間同士なのですから。ただ、「相手を知ろう」とする態度を示したり、実際の行動に移したりすることは、人を尊重する上でとても大切なことです。
反対に、自分自身を知ってもらうことも、同じくらい大切です。何か困った時に、誰かにSOSのサインを出せる人はそう多くはないと思います。このような現状には社会としての責任が大きく関わってきますが、今回は割愛します。人(あなた)を知ること、自分(わたし)を知ってもらうことは、いざという時のセーフティーネットの構築にもつながるので、普段の生活から見直してみてください。互いの違いを認め合い、尊重し合うことで、より豊かで生きやすい環境づくりを始めてみませんか?


紀本知都子
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。
政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダー平等の観点から誰もが生活しやすい社会を目指して活動中。

貧困の連鎖をなくすには①

兵庫県から東京に引越しをしてきて驚いたことがある。
離婚世帯、及び貧困世帯に出会う確率が多かったからだ。兵庫県に住んでいる時は、地元には貧困家庭、職場には離婚者ばかりと、こんなにもたくさんいるのかと思っていた。
そして東京では、離婚している家庭であっても、両親とも正社員として子供を養っているのだろうと想像していたのだ。
しかし、私が会った方々は、非正規として働き、小学生のお子さんをシングルで育てていたり、旦那さんの収入が少ないからと、高校生のお子さんを育てながら、パートで働いていてたりと、細々と暮らしていた。
40代~70代の非正規で働く方々は、離婚家庭か貧困家庭なのかと思ってしまう程だ。
そして、そういった状況の方々にお話しを伺うと、子供が成人し、働けるようになっても、親子共々が貧困であるということが分かってくる。
貧困の連鎖はどうすればなくすことができるだろうか。

いま日本では六人に一人の子供が相対的貧困状態におかれているとされ、厳しい経済環境の中にある。子供の貧困率の上昇は、子供を養育している親の貧困率の上昇と密接に関蓮している。貧困から抜け出せない理由は様々提示されているが、私は、制度、精神、接触のこの三つの要因が大きいと思っている。

制度については、賃金、社会保障、税の問題など多々あるが、私は早急に手をつけないといけないこととして、離婚相手の養育費の支払いの義務化だと思う。
2020年今年の7月に政府は、女性活躍に関する「重点方針2020」を決定した。
その中に離婚後の養育費不払い問題を解消するため、法改正の検討を明記した。公的機関による養育費の請求権を巡り外国の法制度を分析し、制度見直しに向け法改正を検討する、とのことだ。
兵庫県明石市では、独自に「養育費取り決めサポート」の受け付けを始めた。家庭裁判所など現行の制度を活用できるよう、書類の書き方のアドバイスや手続きにかかる費用の補助によって支援するというものだ。また、調停調書などの取り決めがあるのに養育費が不払いの場合、一ヶ月分を立て替えた上で、相手側から回収する取り組みをスタートさせた。
東京都や大阪市、滋賀県湖南市なども、養育費の支払いが滞った場合に代わりに取り立てる民間保証会社との契約料を補助する制度がある。

ひとり親世帯の中で母子世帯、父子世帯では何が異なるのだろうか。
厚生労働省の人口動態統計によると、16年度のひとり親世帯の内、母子世帯が約123万世帯、父子世帯が約19万世帯だった。母子世帯の9割、父子世帯の8割は、離婚や未婚などの理由でひとり親世帯になったと推定されている。いずれも親の8割以上が働いているが、平均年収は父子世帯の420万円に対し、母子世帯は243万円と大きな差がある。にも関わらず、母子世帯の中で養育費の支払いを受けていると答えた母子世帯は全体の24.3%だった。「逃げ得」がいかに多いことだろうか。
養育費の回収が確実に行われるように、自己責任から行政のサポートに変わる必要があるだろう。

次回は精神について記載します。

注:相対的貧困とは国や社会、地域など一定の母数の大多数より貧しい状態のこと。ここでは、相対的貧困を貧困の定義としています。


岡田恵
兵庫県尼崎市出身。
中学生の頃から学校や家庭での性別役割に疑問を感じ、大学在学時に女性学と出会ったことがきっかけで、メディアとジェンダーについて研究を始める。その後、兵庫県男女共同参画アドバイザー養成塾に通い、兵庫県男女共同参画推進員となる。現在東京都在住の会社員。

その古い価値観で生きるのはやめませんか?

食卓に立っているのは誰?

突然ですが、みなさんの家の食卓や台所に立っているのは誰ですか?家族とは同居していない人、一人暮らしの人、「そんな昔のことなんか忘れたよ」と言う人、いろいろな生活の形があると思います。でも少しだけ、思い返してみてください。そこには誰がいますか?

多くの人はこう答えるのではないだろうか。「お母さんがいる」「妻がご飯を作っている」と。では、そこに立っていない男性は、家の中のどこにいて何をしているのだろうか?椅子に座っている?新聞を読んでいる?テレビを見ている?お茶を飲んでいる?寝ている?

このような行動に心当たりのある人、この光景が当たり前だと思った人・・・

残念ながら、時代遅れです!

これは「男は仕事、女は家庭」を象徴した光景であり、もはや旧価値観であると言ってもいいだろう。昭和の時代においては、当たり前の光景だったかもしれない。しかし今は、平成を通り越して令和の時代に突入している。同時に、「男性も女性も仕事」をする新生活様式が確立する世の中にシフトしている現状を、何となく察知しているのではないのだろうか。今回は、そのような旧価値観を更新するためのヒントを提供したい。

ドラマのなかの男性たち―『東京独身男子』の世界からみえてくるもの

今回取り上げたいのは、2019年4月から放送された、土曜ナイトドラマ『東京独身男子』のなかで当たり前のように展開されていた場面である。

メガバンク勤務の石橋太郎(高橋一生)の趣味は、ドラマのなかでもよく紹介されているように、料理だ。一人暮らしの自宅キッチンには、こだわりの調味料を大量に並べるほどの料理好きであり、どうやらその味もプロ級らしい。作中での石橋太郎は、「家事がデキる男性」として何度も紹介されている。会社での仕事をこなしながら、料理をはじめとする家事を率先して行う男性がいるという世界観をドラマのなかで作ることは、非常に良い傾向にあると思う。だが、作品を見ていくうちに、いくつかの疑問が出てくるのである。

先に、疑問以前に違和感を持った部分がある。それは作中での登場人物の設定である。作品を観ながら、しばしば心の中で以下のように叫び散らすことがあった。

「石橋太郎(高橋一生)、(設定上の)スペック高すぎ!」

「こんな人、そうそういないでしょ!!」

現実には、石橋太郎のように、一人で何でもできてしまう男性はどれほどの割合で存在するのか。作中の石橋太郎は、仕事や家事に関しては完璧な男性として描かれているが、それはあまりにも現実とかけ離れた設定のもとで成り立っている。この作品を見て、「自分も仕事と家事の両立をしなといけないのか・・・」と絶望した男性も一定数はいるのではないだろうか。他の男性陣もハイスペック設定である。石橋太郎の友人である三好玲也(斎藤工)は、東京の一等地で審美歯科クリニックの経営者を、同じく友人の岩倉和彦(滝藤賢一)は、弁護士事務所のボスをそれぞれ演じている。

かけ離れた理想と現実

日々家事に奮闘する一人暮らしのサラリーマンが主人公の物語ならまだしも、初めからハイスペックな登場人物をそろえ、彼らが営むハイクラスの生活を見せられたところで、視聴者は何をどう評価するのが正解なのか。もちろん、受け手により感じとるものは異なるのは当然なので、正解は存在しない。ただ、この作品を観て共感できる人がどのくらいいたのかは疑問である。日頃からハイクラスな生活をしている層にはウケたのかもしれない。一方で、庶民には理解しがたい世界観を描いているのも事実であり、独身男子3人組は庶民が経験しようもない生活を毎度のように展開する。

また、将来はこれくらいの生活が送れるほどの資産を形成し、優雅な暮らしをしたいと意気込ませることに、一部の層に対しては成功したのかもしれない。だが、その効果がみられるのもごく限られたの層のみであろう。作品への共感度が高く、視聴者自身のリアリティとの近接性があり、それでいてウケることを考えると、非常にターゲット層が狭い作品であるともいえる。さらには、「家事を完璧にこなす男性像の押しつけ」が目立って仕方なく感じる。こうなったらドラマのタイトルは、『東京独身貴族男子』でもよかったのではないだろうか。

『東京独身男子』の作品全体を通して、「視聴者に何を伝えたかったのか?」という疑問はかなり残る。仕事もできて、家事もできる。そのような理想の男性像を描いた上で、「あえて結婚しない男子(作中では「AK男子」と呼ばれている)」が、「イマドキは格好いい男子」だということを表現したかったのだろうか。それだとあまりにも短絡的すぎる。ドラマの最後は、石橋太郎が、友人である三好玲也の妹・三好かずな(仲里依紗)への同棲を持ち掛け、それが受け入れられたシーンで終わっている。ハッピーエンドだ。

家事は一人で完璧にできないとダメなの?

ドラマを見ている最中に率直に感じたことがある。男性が率先して家事をする世の中にはなるのは良いことだし、実際今の社会もその方向に向かっている。だけど、「男性であれ女性であれ、別に『完璧に』家事をする能力は求められてはないよね?」と思ったのである。そもそも、仮に夫婦であるならば、「家の事」は分担して、お互いができる時にできることをしながら支え合っていくものなのではないのか。一方が完璧にこなせることを、もう一方がサボっていいことの口実にしてはいけない。完璧な男性像を描き、世の中の女性を(キャストを含め良い意味で)騒がせた『東京独身男子』から学ぶべきことは(良くない意味で)多い。あくまでもドラマのなかでの話。メディアが押しつけてくる価値観に惑わされないようにすることが重要だ。

時代に沿った価値観で行動を

一人暮らし世帯の人はどうだろうか。毎日遅くまで仕事をして、スーパーで買い物をして、帰宅して、料理をして、洗い物をして、洗濯をして、翌日の準備をして・・・。このような生活を続けていては、自由な趣味の時間を持つことすらできず、疲労しか残らない。今や近くのコンビニでも、出来合いの食料品は気軽に買える環境になっている。最近では、「母親ならポテトサラダくらい自分で作れ」と、コンビニで女性に言い放った高齢男性の話題で、その賛否の議論が繰り広げられていたことが記憶に新しい。当然、男性全員に当てはまることではないが、こうした発言をする世の男性は、女性に何を求めているのだろうか。「女性が料理をするのは当たり前?」「男性は作られた料理を待つのが当たり前?」。旧価値観の押しつけをこの時代にも行うのだろうか。

そんな世の中、息苦しくないですか?

コンビニも上手く利用すれば、立派な家事の応用である。栄養素を基準に考えて購買行動を行う人は、むしろ堅実に見えてくる。食卓に並べられる料理を黙ってじっと待っている人に比べると、断然デキる人である。これからの時代を生き抜く上で、コンビニ商品と共存できる人は、むしろ新たな家事スキルを持った達人である。

おわりに

昨今の人気ドラマをはじめ、メディアは依然として大きな力を持っている。しかし、一度立ち止まって考えてみてほしい。どんなに人気で定評のあるドラマや映画のなかにも、「あなた自身が感じる違和感」はないだろうか。「そんな違和感探しをするより純粋に作品を楽しみたい」という視聴者の方が、圧倒的多数だろう。とはいえ、『東京独身男子』のように、「家事(料理)」という一つのテーマでも語れることはいろいろあるのだ。「女性が家事をするのは当たり前?」「今時の男性は完璧な家事ができないといけないの?」など。ドラマの世界観と自分自身の生活がかけ離れていたとしても、何か一つのテーマに集中して、あなたなりの考えを持ってほしい。たとえば、育児、介護、学校や職場の環境、遊びの場、飲み会の場など。目を凝らして観ていると、作品中では美談にされているが、現実では「ありえない!」と言いたくなることは意外にも多い。少しでも違和感を持ち、違いの発見をしたら、周囲の人と話してみてほしい。そういった簡単にできる小さなことの積み重ねは、男性や女性の二元論でものを語ることからの解放につながり、私たち自身もより豊かになる。

それでも旧価値観の押しつけをする人は、存在し続けるだろう。働き盛りの世代、育児に一生懸命な親世代、親の介護で手一杯な子ども世代。現代社会には、いろいろな生活の形が存在しており、そこでの生き方や工夫の仕方も人の数だけ存在している。何が正しくて、何が正しくないのか。そのようなことを考える必要はない。これからの新たな時代を生きる私たちにとって、より生きやすい選択をしてほしい。もちろん、生活上での悩みや家庭での悩みがあれば、周囲に相談するのもいい。そうしたネットワークを持っていなければ、インターネット上で相談するのも一つの手だ。使えるものは賢く使っていこう。


紀本知都子

一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダー平等の観点から誰もが生活しやすい社会を目指して活動中。

女性らしく生きるということ―出産の選択―

「女性は子供を産む機械」発言

2007年1月27日、当時の厚生労働大臣は、講演会の途中で衝撃的な文言を放った。「15から50歳の女性の数は決まっている」「産む機械、装置の数は決まっている」。いわゆる「女性は子供を産む機械である」発言だ。これは、社会福祉や社会保障などの政策を担当する省庁の大臣として、恥ずべき事態である。たしかに、今の日本社会は少子化が進んでいる。だからといって、このような発言が許される日本社会のすべてを受け入れる必要はない。

女性だから子供を産まないといけないの?

子供は女性にしか産めないというのは事実である。だから、男性のお偉いさんは全国の女性に対して、少子化を食い止めるために子供を産むように催促するのだろう。しかしながら、子供を産むか産まないかは、それぞれの女性個人が決めることであり、国民の義務でもなければ使命でもない。社会が子供を産むことを求めているからといって出産をするのと、女性自身が子供を産みたいと決意して出産をするのとでは、まるで意味がちがってくる。

昨今では、“意識的に”子供をもたない夫婦やその生活観のことを指す「DINKs(ディンクス)」という言葉も使われ始めている。Double Income No Kidsの略称で、「2収入で子供なし」という意味だ。女性が社会的に活躍できる場が増えるにつれ、共働きをする夫婦が増え、DINKsという言葉が使われる場面も増えてきている。“意識的に”子供をもたないというのは、パートナー同士で話し合った上で、子供のいない生活を選んだ夫婦間の合意が根底にある。

女性が女性らしく生きるために

「女性だから子供を産まないといけない」というのは、もはや時代遅れの考えであるが、それを世の女性に対して強調してくる社会からの圧力は依然として残っている。これまで専業主婦としての役割を果たすことを最優先に求められていた女性が社会に進出し、キャリアアップを目指して働ける世の中に変化している。時代の変化とともに、働き方も生活の様式も変化していく必要がある。

もちろん一方では、子供を産み・育てる女性が存在することを忘れてはならない。話し合いを重ねた結果、そのような家庭もあれば、別の選択肢をつかんだ家庭もあるのだ。「女性が輝ける社会を」といった決まり文句は、どこにいてもよく聞くものである。女性が女性らしく、自分らしく生きるということを、変なお偉いさんの言葉なしに考えてみてほしい。

 


紀本知都子
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。政治とジェンダーを中心に学んでいる。
これまでに地方での首長選挙、都市部での地方選挙・国政選挙を複数経験しており、さまざまなレベルの選挙を調査・分析している。しかし、多くの候補者や政治家、その関係者との話や現場での経験を通じて、政治の意思決定の場における女性参画の機会が少ないことを問題視し、ジェンダーの観点から社会をみる必要があると感じるようになった。男性や女性といった性別に捉われることなく、誰もが安心して生活を送ることのできる社会づくりを目指して活動中。

育児は女性がするものという先入観に捉われてない?

ある会社の求人にこう書いてあった。育児休暇の取得実績はありますか?という求職者の問いに対し、「育児休暇取得により、その後も仕事を続けている女性社員は多くいます」と。
育児は女性がするものだということを強調する表現である。

求人広告は企業の広報ブランディングといってもいいものだが、未だなお、表現のガイドラインが守られてはいない。

今年の一月、小泉進次郎議員が12日間の育児休暇をとったことが報じられた。
男性の育児休暇の取得そのものを特別なこと、珍しいこととして取り上げてはならない。
男性の育児参画が「特別なこと」となってしまい、ますます一般市民の育児休暇が取りづらくなる。

「育児休暇をとって子供たちと触れ合う時間を大切にしています」と話す二人の女の子を子供にもつ、ある男性に会った。
仕事は制作会社でのカメラマン。パートナーは看護士さん。育児休暇をとった理由は、パートナーの方が給与がいいからとのことだった。至ってシンプルだ。
育児の楽しさを実感したその男性は、自身の体験を元に、地域で育児参画への推進活動をしている。

育児をするにあたって性別は関係ない。子供を育てるという権利は誰しもがもっている。
女性が育児をするのが「当たり前」であったり、男性が育児をすることが「特別」であったりすることは決してない。性別に関係なく、育児を当たり前とするには、それを前提とした上で、万人に対し、仕事と育児の成功体験であったり、企業の取り組みの事例を紹介したりするなど、育児そのものが参画しやすいメッセージを発信する方がよい。

育児=女性という表現がなぜ出てきてしまうのかについても考えてみたい。
日本の女性の労働力率は30代で一時低下する。一人目の出産を機に一旦離職し、再就職をする女性が多い。
これをアルファベットのMにたとえて女性のM字型就労と呼んでいる。かつてM字就労は先進国に見られた現象であったが、今では日本を含む少数の国でのみ見られる現象になっているようだ。
就業率の落ち込みは、女性の結婚や育児期にみられていた。しかし現在、離職する主な理由として、結婚や出産よりも、仕事や行き詰まり感にあるという調査結果が出てきた。
女性に十分な能力開発の機会を提供していない企業側に理由があるというものだ。

つまり、企業は、女性は結婚や出産で離職するとして、男性と同じキャリア形成の機会を提供してこなかった。
企業にとって、育児休暇は離職をくい止めるための予防策であるため、離職をするのは女性という思い込みが、育児=女性を生み出しているのだと思う。こういった表現は企業自ら、「自社では女性の離職が高いんです」あるいは「自社では女性の離職が高いという偏見をもっています」といっているようなものだ。

性別の隔たりのない育児参画の実現は、伝達する側の表現から変えよう。
就職活動をしている皆さんは、就活リテラシーをもって臨んでもらいたい。


岡田恵
兵庫県尼崎市出身。
中学生の頃から学校や家庭での性別役割に疑問を感じ、大学在学時に女性学と出会ったことがきっかけで、メディアとジェンダーについて研究を始める。その後、兵庫県男女共同参画アドバイザー養成塾に通い、兵庫県男女共同参画推進員となる。現在東京都在住の会社員。